イーマナ配信
2022/10/06 (Thu) 09:00
祈りにおいて真実である
――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
ルカ11:5 ……あなたがたのうちのだれかに友人がいて、真夜中にその人のとこ
ろへ行き、こう言ったとする、『友よ、パンを三つ貸してください』。(7節)そ
の者は家の中から答えて言うだろう、『煩わさないでもらいたい。もう戸は閉め
たし、子供たちはわたしと一緒に床についている。起きてあなたに何もあげるわ
けにはいかない』。(8節)わたしはあなたがたに言う。自分の友人だからという
ことで、起きて何も与えなくても、その厚かましいしつこさのために、起きて、
必要なものを与えてくれるであろう。(10節)すべて求める者は受け、捜す者は見
いだし、門をたたく者には開かれるからである」。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
祈りはメッセージではありません。祈りは演説ではありません。祈りはわたした
ちが主の御前に行って求めることです。ですから、祈りの集会においてわたした
ちは、神の御前で、まるで神がその事をご存知でないかのように詳しく通知した
り、報告したり、いきさつを話して聞かせて、長たらしい言葉を並べ立てる必要
はありません。祈りは、わたしたち自身に必要があり、わたしたち自身に弱さが
あるので、祈りによって霊的な供給を得、霊的な力を得ることです。ですから、
あなたの内側で必要をどれだけ感じているかが、真実な祈りをどれだけすること
ができるかになります。もしあなたが必要を感じていないのでしたら、あなたの
祈りは偽りの祈りになってしまいます。
必要がはっきりしていればしているほど、祈りは真実になります。主イエスは一
つのたとえを引用されました。ある人の家に友人が来たのに、パンがなかったの
で、その人は別の友人の所に行ってパンを求めました。パンがない者の必要はは
っきりしていますから、どうしてもと何度も求め続けます。その友人は彼の必要
にしたがって彼に与えました。ですから、主イエスは言われました、「すべて求
める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれるからである」。必
要が確実であり、わたしたちがよくよく求めさえすれば、それは必ずわたしたち
に得られます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版)
メッセージ第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて
います。
このメールアドレスは送信専用のアドレスですので、eManna宛にコメントなどの
メールをお送りになる場合は、下記のアドレスへお送りください。
コメント: mailto:remark@emanna-japan.com へメールをお送りください。
eMannaが引用されている書物を発行している日本福音書房のホームページを
ぜひご覧ください: http://www.jgbr.com
eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com
登録/削除はこちらまで: https://g.bmb.jp/isle/p/f/tf.php?id=emanna2009
eManna-Japan配信係
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ルカ11:5 ……あなたがたのうちのだれかに友人がいて、真夜中にその人のとこ
ろへ行き、こう言ったとする、『友よ、パンを三つ貸してください』。(7節)そ
の者は家の中から答えて言うだろう、『煩わさないでもらいたい。もう戸は閉め
たし、子供たちはわたしと一緒に床についている。起きてあなたに何もあげるわ
けにはいかない』。(8節)わたしはあなたがたに言う。自分の友人だからという
ことで、起きて何も与えなくても、その厚かましいしつこさのために、起きて、
必要なものを与えてくれるであろう。(10節)すべて求める者は受け、捜す者は見
いだし、門をたたく者には開かれるからである」。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
祈りはメッセージではありません。祈りは演説ではありません。祈りはわたした
ちが主の御前に行って求めることです。ですから、祈りの集会においてわたした
ちは、神の御前で、まるで神がその事をご存知でないかのように詳しく通知した
り、報告したり、いきさつを話して聞かせて、長たらしい言葉を並べ立てる必要
はありません。祈りは、わたしたち自身に必要があり、わたしたち自身に弱さが
あるので、祈りによって霊的な供給を得、霊的な力を得ることです。ですから、
あなたの内側で必要をどれだけ感じているかが、真実な祈りをどれだけすること
ができるかになります。もしあなたが必要を感じていないのでしたら、あなたの
祈りは偽りの祈りになってしまいます。
必要がはっきりしていればしているほど、祈りは真実になります。主イエスは一
つのたとえを引用されました。ある人の家に友人が来たのに、パンがなかったの
で、その人は別の友人の所に行ってパンを求めました。パンがない者の必要はは
っきりしていますから、どうしてもと何度も求め続けます。その友人は彼の必要
にしたがって彼に与えました。ですから、主イエスは言われました、「すべて求
める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれるからである」。必
要が確実であり、わたしたちがよくよく求めさえすれば、それは必ずわたしたち
に得られます。
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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版)
メッセージ第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて
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