イーマナ配信
2023/04/21 (Fri) 09:00
文化によってキリストからそらされる
――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
ピリピ3:4 とはいえ、わたし自身も、肉を頼みとするものを持っています。も
しだれか他の人が、肉を頼みとするところがあると考えるなら、わたしはなおさ
らそうです。(5節)わたしは八日目に割礼を受け、イスラエル民族の者、ベニヤ
ミン族の者、ヘブル人の中のへブル人、律法についてはパリサイ人、(6節)熱心
については教会を迫害し、律法にある義については、責められるところのない者
です。(7節)しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆ
えに、損失と勘定するようになりました。(8節)しかしさらに、わたしはまた、
わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失で
あると勘定します。その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、
それらをちりあくたと勘定します。それは、わたしがキリストを得るためであり……。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
わたしたちの生活の中で、物質的事柄がキリストに置き換わり得ることや、キリ
ストを享受するのを妨げ得ることを見るのは、容易です。しかし、物質的でない
事柄、例えば宗教、哲学、文化なども、キリストに置き換わり得ることを見るの
は、容易ではありません。わたしは何年もの間、主を真に追い求めているさまざ
まな国籍の多くの霊的な人々に会ってきました。しかしながら、彼らはある程度
まで霊的に進歩してはいましたが、彼らの国の文化の外側で生きている人は、ほ
とんどいませんでした。例えば、中国でキリストを真に追い求めているすべての
人の中で、中国の倫理的な哲学の外側で生きている人はほとんどいませんでした。
この哲学は彼らの中に造り込まれてきました。これは、これらの倫理的な教えが
間違っているということではありません。それらは何世紀にもわたって用いられ、
人々を保ってきました。要点は、そのような倫理的な教えがキリストご自身以外
のものであるということです。わたしたちが倫理的な教えにしたがって生きるこ
とは、神の願いではありません。倫理は新創造の一部ではありません。それはキ
リスト、その霊、復活の命に属するものではありません。キリストに属するもの
は何であれ、復活の中に、新創造の中にあり、その霊に属するものでなければな
りません。
問題は、彼らが中国の倫理的な哲学の外側で生きていないことだけではありませ
ん。さらに重大な問題は、彼らが中国の哲学的な倫理とキリストとの違いをわか
っていないということです。中国のクリスチャンに対する倫理の影響は、さまざ
まな国籍のクリスチャンに対する各国の文化の影響と同じです。
信者たちがいかに熱心に主を追い求めたとしても、彼らは依然として自分の国の
特徴の影響の下にいます。彼らは日常生活で、キリストよりも彼らの文化に影響
されています。パウロはすべての事柄を損失と勘定すると言った時、物質的な事
柄だけではなく、宗教、哲学、文化のようなものも指していました。わたしたち
は進んで物質的な事柄をキリストのために損失と勘定するかもしれませんが、わ
たしたちの文化や国の特徴を損失と勘定しないかもしれません。しかし、宗教、
文化、国の特徴は、パウロがキリストを得て彼の中に見いだされようとして、く
ず、ちりあくたと勘定したものの中にありました。これらのものはとても良いか
もしれませんが、復活の中になく、新創造の中にありません。さらに、それらは
キリストに属するもの、その霊に属するものではありません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年
版)メッセージ22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され
ています。
このメールアドレスは送信専用のアドレスですので、eManna宛にコメントなどの
メールをお送りになる場合は、下記のアドレスへお送りください。
コメント: mailto:remark@emanna-japan.com へメールをお送りください。
eMannaが引用されている書物を発行している日本福音書房のホームページを
ぜひご覧ください: http://www.jgbr.com
eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com
登録/削除はこちらまで: https://g.bmb.jp/isle/p/f/tf.php?id=emanna2009
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ピリピ3:4 とはいえ、わたし自身も、肉を頼みとするものを持っています。も
しだれか他の人が、肉を頼みとするところがあると考えるなら、わたしはなおさ
らそうです。(5節)わたしは八日目に割礼を受け、イスラエル民族の者、ベニヤ
ミン族の者、ヘブル人の中のへブル人、律法についてはパリサイ人、(6節)熱心
については教会を迫害し、律法にある義については、責められるところのない者
です。(7節)しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆ
えに、損失と勘定するようになりました。(8節)しかしさらに、わたしはまた、
わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失で
あると勘定します。その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、
それらをちりあくたと勘定します。それは、わたしがキリストを得るためであり……。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
わたしたちの生活の中で、物質的事柄がキリストに置き換わり得ることや、キリ
ストを享受するのを妨げ得ることを見るのは、容易です。しかし、物質的でない
事柄、例えば宗教、哲学、文化なども、キリストに置き換わり得ることを見るの
は、容易ではありません。わたしは何年もの間、主を真に追い求めているさまざ
まな国籍の多くの霊的な人々に会ってきました。しかしながら、彼らはある程度
まで霊的に進歩してはいましたが、彼らの国の文化の外側で生きている人は、ほ
とんどいませんでした。例えば、中国でキリストを真に追い求めているすべての
人の中で、中国の倫理的な哲学の外側で生きている人はほとんどいませんでした。
この哲学は彼らの中に造り込まれてきました。これは、これらの倫理的な教えが
間違っているということではありません。それらは何世紀にもわたって用いられ、
人々を保ってきました。要点は、そのような倫理的な教えがキリストご自身以外
のものであるということです。わたしたちが倫理的な教えにしたがって生きるこ
とは、神の願いではありません。倫理は新創造の一部ではありません。それはキ
リスト、その霊、復活の命に属するものではありません。キリストに属するもの
は何であれ、復活の中に、新創造の中にあり、その霊に属するものでなければな
りません。
問題は、彼らが中国の倫理的な哲学の外側で生きていないことだけではありませ
ん。さらに重大な問題は、彼らが中国の哲学的な倫理とキリストとの違いをわか
っていないということです。中国のクリスチャンに対する倫理の影響は、さまざ
まな国籍のクリスチャンに対する各国の文化の影響と同じです。
信者たちがいかに熱心に主を追い求めたとしても、彼らは依然として自分の国の
特徴の影響の下にいます。彼らは日常生活で、キリストよりも彼らの文化に影響
されています。パウロはすべての事柄を損失と勘定すると言った時、物質的な事
柄だけではなく、宗教、哲学、文化のようなものも指していました。わたしたち
は進んで物質的な事柄をキリストのために損失と勘定するかもしれませんが、わ
たしたちの文化や国の特徴を損失と勘定しないかもしれません。しかし、宗教、
文化、国の特徴は、パウロがキリストを得て彼の中に見いだされようとして、く
ず、ちりあくたと勘定したものの中にありました。これらのものはとても良いか
もしれませんが、復活の中になく、新創造の中にありません。さらに、それらは
キリストに属するもの、その霊に属するものではありません。
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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年
版)メッセージ22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され
ています。
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ぜひご覧ください: http://www.jgbr.com
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