イーマナ配信
2023/05/19 (Fri) 09:00
物質的な事柄にふけらない
――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
ピリピ3:17 兄弟たちよ、共にわたしに倣う者になりなさい。また、あなたがた
がわたしたちを模範としているのと同じような歩みをする人たちに、注意深く目
をとめなさい。(18節)というのは、わたしがしばしばあなたがたに告げ、今また
泣いてまであなたがたに告げるように、多くの者は、歩いてはいますが、キリス
トの十字架の敵であるからです。(19節)彼らの終わりは滅びであり、彼らの神は
腹であり、彼らの栄光は彼らの恥であり、彼らは思いを地上の事柄に置いていま
す。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
わたしたちがすでに指摘したように、快楽主義者たちは食べ飲みのほしいままな
享楽に心を傾けます。パウロは19節でこれに言及しています。これらの人たちは
その腹を礼拝し、またその胃に仕えています。彼らの腹が彼らの神でした。食べ
たり飲んだりの享楽を助長する際、快楽主義者たちは倫理や道徳よりも物質的放
縦に一層の関心を持ちました。今日、多くの人は物質的享楽に放縦する快楽主義
者の道をたどります。パウロは快楽主義者たちについてまた、彼らは「思いを地
上の事柄に置いています」と言っています。パウロは地上の事柄によって、肉体
的な事柄、物質的な事柄、食べたり飲んだりの問題を意味しました。
コロサイ人への手紙によれば、パウロは肉体を厳重に取り扱うことを実行する禁
欲主義には同意しませんでした(コロサイ2:20-23)。しかし、肉体の享楽にふけ
る快楽主義者の放縦にも同意しませんでした。わたしたちには、食物や衣服のよ
うなものが必要です。それがなくては生きていけません。しかしながら、わたし
たちはこれらのものに気ままにふけるべきではありません。
第4章11節でパウロは言います、「わたしはどんな境遇でも、満ち足りることを学
んだからです」。「満ち足りる」と訳されたギリシャ語は、ストア哲学(禁欲主
義)の用語で、快楽主義者とは正反対の実行を示しています。ストア哲学は、人
はすべての境遇に満ち足りているべきであって、享楽も苦難も意とするべきでな
いと教えました。パウロはこの表現を使って、彼が満ち足りる秘訣を学び取った
ことを証ししました。原則において、わたしたちクリスチャンは快楽主義にも禁
欲主義にも同意しません。ある意味でわたしたちは多少ストア哲学の側に立つの
かもしれません。わたしたちの体に関しては、わたしたちは主を表現するために
長く生きられるよう、正しく食べて養われる必要があります。しかし、わたした
ちは物質的事柄の放縦または過度の享楽は避けるべきです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ
ッセージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。
このメールアドレスは送信専用のアドレスですので、eManna宛にコメントなどの
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コメント: mailto:remark@emanna-japan.com へメールをお送りください。
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ぜひご覧ください: http://www.jgbr.com
eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com
登録/削除はこちらまで: https://g.bmb.jp/isle/p/f/tf.php?id=emanna2009
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――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
ピリピ3:17 兄弟たちよ、共にわたしに倣う者になりなさい。また、あなたがた
がわたしたちを模範としているのと同じような歩みをする人たちに、注意深く目
をとめなさい。(18節)というのは、わたしがしばしばあなたがたに告げ、今また
泣いてまであなたがたに告げるように、多くの者は、歩いてはいますが、キリス
トの十字架の敵であるからです。(19節)彼らの終わりは滅びであり、彼らの神は
腹であり、彼らの栄光は彼らの恥であり、彼らは思いを地上の事柄に置いていま
す。
―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
わたしたちがすでに指摘したように、快楽主義者たちは食べ飲みのほしいままな
享楽に心を傾けます。パウロは19節でこれに言及しています。これらの人たちは
その腹を礼拝し、またその胃に仕えています。彼らの腹が彼らの神でした。食べ
たり飲んだりの享楽を助長する際、快楽主義者たちは倫理や道徳よりも物質的放
縦に一層の関心を持ちました。今日、多くの人は物質的享楽に放縦する快楽主義
者の道をたどります。パウロは快楽主義者たちについてまた、彼らは「思いを地
上の事柄に置いています」と言っています。パウロは地上の事柄によって、肉体
的な事柄、物質的な事柄、食べたり飲んだりの問題を意味しました。
コロサイ人への手紙によれば、パウロは肉体を厳重に取り扱うことを実行する禁
欲主義には同意しませんでした(コロサイ2:20-23)。しかし、肉体の享楽にふけ
る快楽主義者の放縦にも同意しませんでした。わたしたちには、食物や衣服のよ
うなものが必要です。それがなくては生きていけません。しかしながら、わたし
たちはこれらのものに気ままにふけるべきではありません。
第4章11節でパウロは言います、「わたしはどんな境遇でも、満ち足りることを学
んだからです」。「満ち足りる」と訳されたギリシャ語は、ストア哲学(禁欲主
義)の用語で、快楽主義者とは正反対の実行を示しています。ストア哲学は、人
はすべての境遇に満ち足りているべきであって、享楽も苦難も意とするべきでな
いと教えました。パウロはこの表現を使って、彼が満ち足りる秘訣を学び取った
ことを証ししました。原則において、わたしたちクリスチャンは快楽主義にも禁
欲主義にも同意しません。ある意味でわたしたちは多少ストア哲学の側に立つの
かもしれません。わたしたちの体に関しては、わたしたちは主を表現するために
長く生きられるよう、正しく食べて養われる必要があります。しかし、わたした
ちは物質的事柄の放縦または過度の享楽は避けるべきです。
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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ
ッセージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。
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